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ぐるり、ひとまわり
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 とある相互様の日記を読まして頂いて思ったのですが、どこまでが赦されるのでしょうかね。
殺す、という行為についての話なのですが。

 わたしはどちらかと言うと、人間以外の動物専門で、人間嫌いと呼ばれる種の人間なので(●●が嫌い、と固定するのじゃなくて、ニンゲンという種が嫌い)人間同士の殺す殺されるの関係にはあまり興味はないのですが、まぁ、それでもそれなりに思うところがあるわけで。


 例えば、Aさんが気に入らない。だから殺す。これは一般的に赦されなくて、宗教的に言えば地獄に落ちる行為とされているわけです。

 じゃあ、戦争は?
戦争で人を殺したくなくて、でも殺さないといけない。殺さないと殺されてしまう。
そんな状況で人間を殺すという行為も赦されないのでしょうか。

 少し人間から離れてみるとするなら、別に食べるわけではない。でも楽しいから魚を釣って殺す。そして捨てる。
この場合の殺すは赦される行為なのでしょうか。

 食べきれないのに大量出荷の為に牛や豚や鶏や魚を殺した。やっぱり食べきれなくて、お肉を捨てた。
これも赦される行為?


 わたしはずっと、この境界線が分からなくて長いことさ迷っています。
 どこまでが赦されるのだろう。そもそも赦すとか赦さないとかは何が、どう決めているのだろうか。

 結局、それらを決めているのは人間で、そう考えたなら、赦す赦さないも酷く曖昧。
 でも、人間が決めた秩序が無ければ大変なことも確かで。この、なんとも言えない感じが気持ち悪い。


 もし、この世に全てのものを決めることが出来る“神”がいるのだとすれば、その神が決めた境界線は一体どこにあるのだろうか。




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紅花
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荒地状態になっている庭をどうするべきかというのが最近の悩み。

紅茶と本と音楽と自然と宗教と世界名作劇場をこよなく愛する人間。

次、生まれて来る時は、木か大地か海の一滴か風か空がいいなぁ。