× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 最近は冬が近付いて来ていて、夜が寒くなって来たから空気が澄んで凄く星が綺麗に見えるようになって来ました。 地面に寝転んで見上げてみたいと思い続けているけれど、未だにその願いは叶っていません。 死んでしまったら、どこに行ってしまうのかしら、と思います。 死について、もう何年も前に宗教で勉強したことがあるけど、結局結論は出ないまま、 キリスト教的には神の国の門が開かれて、永遠の命を得るのだと学んだけれど、永遠の命なんていらない、と思うわたしはどこに行けばいいのかしら、 終わりがないというのは、あまりにも苦しい、、 出来れば、わたしとしては、自然にかえりたいと思うのだけど、肉体はかえれたとして、魂はかえれるのかしら。 そもそも、“魂”というものが存在するのかどうか、わたしとしてはあやふやなのだけど、もしそれが肉体とは違うところに存在するのであれば、風になることを希望するわ、 あぁ、でも、もしかしたら、魂と呼ばれるものは、役目を終えたら肉体にとけて、肉体とともに、消えるのかもしれないね。 なーんて、死んだことがないから、わからないのだけど、(死にかけた時は、ただ、真っ白だったということを覚えているけど…これもあいまい。わたしは生きてるからね、) メメント・モリ、死を忘れるなということ。 絶えず、自分が死にゆく者だということを忘れるな。とは言わないけれど、たまにはそんなことを思ってみるのもいいかもしれない。 心は残していきたくないもの。残すのは温かな思い出だけで充分よ そんなことを考えると、宗教というものはどれもすべてメメント・モリに繋がっているのかもしれないね、 キリスト教の祈りの言葉も、仏教の死者に手をあわせる行為もぜんぶ、死ということに繋がっているもの。 PR |
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紅花
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読書・昼寝・散歩
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荒地状態になっている庭をどうするべきかというのが最近の悩み。 紅茶と本と音楽と自然と宗教と世界名作劇場をこよなく愛する人間。 次、生まれて来る時は、木か大地か海の一滴か風か空がいいなぁ。 |